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祥雲寺の解体の際に、発見された物 |
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宝 物 所蔵する仏像、薬師如来坐像・日光菩薩立像・月光菩薩立像・四天王像・千手観音坐 像・他、文書、版木等の管理をセキュリテー会社にお願いし、同時に劣化に気を付けながら保存を行っています。 |
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古 文 書 祥雲寺の襖の下張りから出てきた、古文書を一枚一枚丁寧に剥ぎ取りそれを保管し、機会あるごとに古文書の解読を行っていますが、膨大な数があり、これから時間をかけて解読していくつもりです。 |
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裏書に「寶山祥雲寺什物 十五世代再造」とあり、 収納箱書きには「涅槃像 壹幅再表具 文 化十三 丙子(1816年)三月十世丈観代寶山祥雲禅寺常什物 内田虚白斎筆 五世 石窓(得雲)和尚代書也 とあり、本涅槃像は十五世本了(覚禅)の時に再度造るとなっている。 箱書きは五世代の時に内田虚白斎筆による涅槃図が入っていたものと推定される。従って本涅槃図は 明治時代初期頃の作と思われる。
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祥 雲 寺 の 構 造 物 再興してから270年の歳月が経っており、一部の構造物(柱・梁・)を除きほとんどの構造物は、老朽化しており保存に値する価値は無く解体業者に処分をお願いしました。残った一部の構造物は、再建時に何かの形で利用する為に残しておく事としました。 祥雲寺の象徴ともいえる屋根の棟瓦にあったシャチホコは一部劣化していましたが状態が良く、何かの形で保存したいと考えています。 写真は、祥雲寺の本尊薬師如来など仏様を囲む須弥壇正面上部に2対向かい合う様に組み込んである龍の欄間です、1805年に涅槃図、三つ具足、と共に納められたものと言われています。 |
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鎹 和釘 270年前の創建された際に使用された鎹や角釘は、当時の鉄の精練技術から診てタタラ製法しかなく、祥雲寺に使用された鉄はおそらくタタラ製法により作られた玉鋼を利用したものと思われます、従って、祥雲寺の再興時に使用された鉄は、周防国分寺と同様に、上質の鋼鉄であると考えられる、そこで構造物に使用された鉄類を回収し(40k)ています。 この鋼鉄を利用して刀が出来ないかと思っています。 |
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祥雲寺のルーツを訪ねて |
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谷 津 の 祥 雲 寺 祥雲寺は,亨和2年(1802)に書かれた『玖珂郡志』や、享保11年(1726)書かれた『享保増補村記』などの古記録によると、玖珂町谷津の寺ヶ浴にあって、当時の寺院規模は、末寺24坊、寺跡2000坪ある大寺であり、鐘楼堂・不動堂跡・仁王門跡・風呂屋敷跡という地名が残るほどの大寺院であった。 そこで金属探知機を用意して寺跡を探索を二度行いましたが、今のところ確かな寺跡を窺える物は発見できません、今後地元の人の協力をお願いしチャレンジしていくつもりです。 |
| 鞍掛山登山 | ||
| 私達は、商工会の協力を得て玖珂町に点在する私達の祖先が残してきた史跡を歩いて巡り、町文化委員の講師の説明を聞く会を行っています。 これまでに鞍掛合戦の主戦場に在る千人塚・鞍掛山・小幡の地下ダム(現代も使用されています)・寺ヶ浴祥雲寺・清水遺跡の発掘された遺物展示・欽明寺・周防源氏武田家跡・春日の大杉・下谷岩風呂・祥雲寺・金峰院など、これからも近郷の歴史遺産を巡る予定です。 |
蓮華・鞍掛を背後に鞍掛方兵士の眠る千人塚、傍にある石碑に刻んである碑文
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郷土文化財保護実行委員会が発足して2年が経過した。 |
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今から四百五十年前に、周防東部にあって安芸の国の備えとして玖珂に鞍掛城が在りました。ちょうどその時に安芸国で勢力を増してきた毛利元就は、防長進出にさいしその圧倒的な力により玖珂の町は戦場となり、八代、百五十年にわたる杉家の統治は終わり、時代は、大内から毛利へと変わって行きました。
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| 鞍掛城家老宇野氏の家系について | 宇野氏は、大内氏十五世貞成弟清致にはじまる。清致は周防国吉敷郡山口宇野令に居住していた、その孫広詮は、陶越前守広房の次男で右田家を継いでいた、その次男泰治(影政)は何らかの縁で鞍掛城主杉隆泰の家老となった。 |
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| 玖珂町の広報誌に連載されている町内文化財シリーズの今月号に、山林に埋もれた 大寺院と題し、寺ヶ浴にあった祥雲寺についての記事がありました。
岩国藩の国学者であった広瀬喜運が、享和2年(1802)に著した『玖珂郡誌』に、 祥雲寺跡ありし処は、寺谷と云う。 寺跡は二重石垣にて七八段もあるべし。 塔頭などと云うべき処、引き慣らしたる段数ヶ所あり。 寺跡ニ千坪もあるべし。 その外鐘楼堂、不動堂跡、二王門跡、風呂屋敷、こうしょう院跡などと云う処あり。 その外は巨細知らず。 と記述しています。 プロジェクトメンバーも何回か現地に赴き、金属探知機等を利用して何か手がかりを見つけようと頑張っていますが、現在のところ何も手がかりになる物は発見されていません。 |
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1月28日の中国新聞に、弥生時代のつぼ里帰り の記事が載った。 昭和50年に、玖珂町柳井田の私有地で建築物の基礎工事中に弥生時代のつぼが見つかつた、そのつぼは、山口県埋蔵文化センターの正面玄関に展示してありました。その他に山口市の歴史資料館に保管されていた2個のつぼが同時に玖珂町に借用された。 玖珂・周東地区の盆地一帯が古代文化が栄えていた証拠でもある、また玖珂町の柳井田地区には、清水遺跡や正森地区に有る、前方後円墳など興味深い遺跡が多くある。今は、その発掘を行う事は出来ませんが、今後古墳発掘が正しく行われる時代になって、明らかにされる、我々の祖先の暮らしぶり、大変興味ある事と思います。 |
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玖珂町史跡めぐり 日時 2月18日 AM10:00 玖珂総合センター集合 |
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天から舞い降りた仏 |
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5月3日連休初日、郷土文化財保護実行委員のメンバー6名が玖珂町善住寺裏庭にある樹木整理や雑草の下刈を行いました。 当日は朝から快晴、作業をするにはもってこいの天気でした、皆汗だくになりながら一生懸命、裏庭の池を巡る遊歩道が姿を現した時のビールの味は最高でした。 |
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岩国市横山に於いて、プロジェクトメンバー揃っての瓦おろし。 将来、薬師堂の傍に管理棟を建てた時、屋根にこの瓦を再使用 する予定です。 |
今年最初の玖珂町史跡めぐりを2月10日土曜日に行いました。 |
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