砦の王国 『清水遺跡 』  

昭和62年高速道路の建設予定内を地表調査中、 偶然に弥生土器が発見されました,これが清水遺跡の存在を知るきっかけとなりました。

昭和63年約半年にわたる調査の結果、推定面積4200平米の広さにわたり、その20%に当たる道路敷地予定内の発掘調査が行われた。

 

発掘調査の結果、全国でも唯一の三重の空堀をめぐらせて、集落を守った高地性集落であり、我が国の弥生時代後期を代表する重要な遺跡であります。

国の特別史跡、佐賀県の吉野ヶ里遺跡に匹敵する遺跡といえます。

 

1989年7月14日発行の、アサヒグラフの「見えてきた倭人伝の世界」と題する企画の一面に掲載された玖珂町清水遺跡は、典型的な弥生遺跡と書かれています。

その中に書かれた記事の一部を抜粋すると、 この高地性集落には逃げ城の様相が窺える。住居が一番高い所にあり付帯設備が下にある点、濠が二重三重に作られている点、盆地の奥に位置し、しかも盆地全体に眺望がきく点、などを挙げて、ここを逃げ城と考える。

おそらく、下に日常生活の場としての母集落があり、いざという事態のときにここに移動したとみられる。清水遺跡の時代は、「倭人伝」にいう「倭国大乱」の直後にあたる。と言う内容が記載されています。

 

 

清水遺跡より発掘された多くの土器は、アイアイセンターの資料室に保管しています。膨大な数の土器や石器鉄製品が展示されています、まだ展示されていない物もありそれらが雑然と積み重ねてあります。

 

 

 

 この甕は、柳井田清水遺跡の麓から発掘された物で、山口市の資料館に保管されていましたが、
我々の強い要望で生まれ故郷の玖珂に帰りました。 現代は玖珂総合センターに展示しています。

 
     
     
     
     

 

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