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杉隆泰家の略系図 [重運]――[重明]――[重茂]――[頼明]――[弘依]―[興頼]――― 「隆泰]―[鎭頼]――[某] 杉氏一統は、杉八家とか八本杉とか称されていて、その譜系は、実に複雑多岐にわたり杉入道宗参、杉民部大輔重光、杉伯耆守十郎重輔
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[杉氏文書] 杉隆泰家証文による拝領の初見より 足利義満 花押 周防国玖珂庄内本郷事 任去二月七日御下知今月十三日施行旨 可沙汰付杉備中守重明之状如 応永6年10月17日 |
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| この2通から、応永6年(1399)に杉氏は将軍ならびに大内氏からこの玖珂の地を拝領したことを示している、つまり、杉氏の玖珂統治は、応永6年から毛利氏によって滅亡される弘冶元年(1555)のおよそ百五十年に渡っていることになる 室町時代から戦国時代中期に掛けて存在した鞍掛城は、鞍掛山および麓の家臣の屋敷などを含めた総体的呼称と考えられる。 隆泰は通常山口に居住し、本知行地は家臣による直接管理体制となっていた。 |
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杉家は、戦国時代西国一の守護大名の大内氏に仕え、陶氏、内藤、と共に大内支配下の奉行三家老の重臣として軍事、行政、経済の各方面に功績を残した。 杉八家、八本杉と称されてその系譜は複雑で支族が多く、その系統を明確にすることは困難である。 杉氏は、大内守護政権のもと、累代長門・豊前・筑前など広域にわたり大内氏の守護代として大内氏の補佐を行ってきた。 杉隆泰は、大内家の重臣として、周防国の東部玖珂にあって安芸の国を牽制役目を持っていました。 大内支配下の武将としての杉一門 杉隆泰は、普段山口おいて大内統治に係わり、自分の知行領地に異変が生じた時に速やかに現地に赴き采配を振るった。 隆泰の地頭代官職としての知行分布は、証文によれば、周防東部と北九州に集中している、つまり安芸国の諸族に対する周防東部、九州の大友・薩摩の島津氏などに対する牽制の意図が窺える。
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