祥雲寺の歴史
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祥雲寺について
 
祥雲寺は玖珂町に存在する寺社の中でも群を抜く文化的・歴史的価値の極めて高い寺院で、玖珂町の誇りとも言える。

享和2年(1802)に書かれた『玖珂郡志』や、享保11年(1726)書かれた『享保増補村記』などの古記録によると祥雲寺は玖珂町谷津の寺ヶ浴に在って、当時の寺院規模は、寺跡が2000坪ある大寺である、と記されている。

 鐘楼堂・不動堂跡・仁王門跡・風呂屋敷跡という地名が残る程の大きな寺院であった、祥雲寺が出来た年代は不明ですが、開山は覚陰和尚と伝えられています、当時は臨済宗宝山祥雲寺と称し、薬師如来を本尊とする寺院であった。

祥雲寺があった谷津寺ヶ浴
屋敷跡の石垣,祥雲寺本堂石垣と思われる 
 
 
鞍掛合戦に敗れて、杉家の保護を受けられなくなった祥雲寺のその後

ご存知の毛利元就が、『厳島の戦い』で陶晴賢に勝利した後、周防・長門の支配を得ようと防長路に軍を進めた最初の戦いが玖珂町史に残る 『鞍掛合戦』であります。
  毛利軍の圧倒的な力と諜報戦により、敢無く杉隆泰家は滅亡した。
その結果、谷津の祥雲寺は運営保護を行う者が居なくなりました。                                               祥雲寺は、寺領を有していた為、年貢を納める義務が有ったにも拘わらず領主のなどの保護が得られず、支払いが困難な為、校割物(寺の宝物)を売り払つて支払いを済ませたものと思われる、この時に杉家の遺物が散逸した。

 こうして谷津の寺ヶ浴の祥雲寺は、享保期(1716〜1735)には、既に寺跡のみとなっていたと記されています。                                                             先立つ事慶安年間(1648〜1651)に吉川家の扶助により、野口に城泉寺が再建せられ曹洞宗城泉寺となりました、その時に薬師堂は、城泉寺の保管となりました。                                                                                                  又、年代は不明ですが杉隆泰の墓は野口の丈六寺に移されたとあります。

野口の城泉寺は、元禄14年(1701)本町に移転となりました。元文4年(1739)祥雲寺の名前に戻したとあります。                                                             その後天明7年(1787)丈観和尚の時に本堂等を建て直したといいます。                     丈観和尚の時、四天王像と共に、本堂の棟にシャチホコが奉納され、文化2年(1805)には涅槃図・前机・三ツ具足・半鐘・欄間が収められています。                                        薬師如来・日光・月光菩薩像・四天王像・千手観音坐像を安置した当時の祥雲寺は参拝者で大変賑ったとものと考えられます。                

天明7年(1787)に再建された本堂等は、近年住職の無住などの理由によりほとんど使用されなくなりました。 また檀家数の減少も影響して修復されないまま現在に至り、倒壊の危険が生じました、近隣の居住者や保育園などに対し、安全上の配慮から、平成16年10月に本堂の解体を行いました。 何年も費やして再建された本堂は、およそ217年の幾星霜を経て、わずか数日間で解体されました。

祥雲寺に於いて行われた興味のある祭事

 

雨乞い掛け軸

雨乞いは、本来密教寺にて行われる祭りであると思われるが、玖珂の祥雲寺には雨乞いに関する掛け軸が9枚残っています。東西南北に龍の掛け軸をかけ正面に神様の名前を書いた掛け軸を掛けその中で雨乞い祈祷をおこなったものと考えられます。深い谷底から雲が湧き上がり龍の昇る姿が雨を呼ぶと言われる。農耕作業を始める前に、今年一年適量の雨が降り、五穀が実りますようにと祈祷を行い、御札をそれぞれの家庭に持ち帰り柱などにに貼り家庭において手お合わせ豊穣を祈ったものと思われます。

 

 

左の札は、祥雲寺の雨乞い祭事に使用され、参拝者に渡されたと思われる       雨乞い御札

残された版木を専門家の指導のもとに、祥雲寺プロジェクトメンバーによって幾年ぶりかに摺られた雨乞い御札。祥雲寺が参拝者で賑った時代にはこの御札が大変重宝がられ各家庭において大事に保管されたものと思います。   

雨乞い御札を発行する所は、全国的にも数が少なかったと思われます。         兵庫県に聖徳太子創建とされる鶴林寺と言う有名なお寺が有りますが、その鶴林寺に 玖珂祥雲寺の発行した雨乞い御札が見つかったことで、近年になって発行元を訪ねられたことも有りました.

 鶴林寺塔頭真光院 住職 吉田 実盛 さんが書かれた、[鶴林寺所伝請雨作法と防州祥雲寺]という冊子の中に、大正十三年に鶴林寺で行われた雨乞いの記録によると、その次第に利用された請雨作法は、玖珂祥雲寺住職 丈観和尚によって1798年に校正された版をもとに明治十四年翻刻された作法をもとにおこなわれた。請雨法と水天法は、特殊法儀であり、「請雨法」「祈雨法壇儀規」の二本がセットとして利用されていた、そして、本来の禅宗のみならず全国の多くの宗派、寺院に利用され、鶴林寺にも伝わった、と書かれている。そのようなことから祥雲寺では雨乞いの要請があり、それに僧侶たちが真剣に答えようとして、厳粛な請雨儀式が執行されていたのであろう。

   
   

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